二宮尊徳終焉の地としてゆかりのある、日光市の南原小学校に新しく建立された二宮金次郎の像が「座っていた」ことが、ネット上で話題になっている。
これは創立30周年となる同小に、報徳思想の普及・啓発団体「報徳道研修 いまいち一円会」が寄贈したもの。下野新聞のニュースサイトによると、同会は「『歩きスマホ』の危険性なども指摘される中、本を読み歩きしている立像ではなく座像にした」と説明しているという。
とはいっても、二宮金次郎といえば “明かりを灯すための油や時間を節約するため、働きながら学問をしていた”という逸話があまりにも有名。その真偽は不明とされているが、歩きながらでも勉学に励む姿が「勤勉」の象徴というイメージを持っている人は多いだろう。
その二宮金次郎が座ったということに、Twitterには、
「それじゃ二宮さんを銅像にする意味がないでしょ。何でもかんでも危険を排除、配慮って…その前に工夫するとか教えるとかが先じゃない?」「なんでこの人歩きながら本読んでマナー悪いな、から始まって、そこからなぜそうなのか、時代背景や人物のことを道徳として教育するのが筋じゃないか。学校のやることはようわからんわ」
と、「座っていたら意味が変わる」「スマホマナーについては教育することが大事なのでは…?」と呆れる声が続々と投稿されているほか、
「歩きスマホしてる大人がたくさんいるんだから、二宮金次郎だけ座らせても無駄でしょ。それに座った二宮金次郎をつくるぐらいなら、二宮金次郎いらなくない?」「二宮金次郎が危険だっていうなら、上野の西郷さんどうすんだ? 刀持って犬の散歩してんだぞ銃刀法違反だぞw」
などという疑問をもつ人たちも。
「勤勉たれ」よりも「ながら○○は危ない」ということを優先して訴えているかのような金次郎座像に、違和感を覚えた人は多いよう。伝わりやすさよりも、誤解される表現を避けるのも時代の流れ…?
写真:座り二宮金次郎の像が建立された日光市・南原小学校
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20160304-00047983-r25
いろんな藩・地方の財政を立て直した人
単なる読書とは違って自分の頭の中で整理したり記憶したりするため
ずっと書物を凝視している必要はない。むしろ結構目を離す。
よって想像されている程には危険性はない。
歩きながら本を読むのは危ないとかいうキチガイ保護者の抗議で建て直された二宮金次郎像
(神奈川、小田原)
「仕事をしながらも勉学に励んで一角の人物になった」って像なのに
仕事をサボって本を読んでるただの怠け者の像になっててイミフ
んでテレビに取材に来てもらうっていう
歩きながら本見たりスマホやったら危険でしょ
勉強する人というのが一番のコンセプトなんだから
歩きながら勉強するところを見せなくてもいいじゃん
座って勉強していても勉強しているところを見せているんだから良いだろそれで
蒔運びしながら勉強したことに意味があるんであって
ただの勉強の姿じゃ意味が無いんだよ
お前みたいに本質理解してない奴が余計な口を出すからおかしなことになる
少しの時間でも惜しんで勉強することを意味してるんだよ
休憩の束の間にも勉強に励んでいたでも特に違和感無い
絶対に歩き姿の金次郎でなければならない理由もないしな
放置すればいいいんだよ。バカにおもねる必要はない。
最近はこの手の一部のバカにおもねってばかりで社会がどんどん歪められてるね。
日本だけでなく世界中で。