http://www.lifehacker.jp/2014/06/140629dislike.html
(本文)
あらゆる批判を回避する方法がひとつだけあります。何も言わず、何もしないことです。しかし、批判を避け続けていれば、いつか道を誤ってしまいます。
前進とは常に摩擦と出会うことです。どんなに立派な作品も、批判を避けては通れません(また、そうであるべきです。批判はあなたを磨いてくれます)。
しかし、ある研究によると、批判者の中には本質的に有害な人たちがいるのだとか。一部の人は本質的に「何でも嫌う人」たちであり、欠点ばかりに目を向けるのだそうです。
『Journal of Personality and Social Psychology』で発表された研究で、研究者たちは、被験者が未知のトピックに対してどんな反応を示すかを調べました。
その結果、被験者の一部に明らかにある傾向が認められました。
予備知識の全くないトピックを見せられたにもかからわず、また、その日の気分に左右されないために、同じ被験者を集めて別の日にもテストをしたにもかかわらず、被験者の中に、2つの特徴的なグループが見つかったのです。
「何でも好きになる人たち」と「何でも嫌う人たち」です。「なんでも好きになる人たち」は、全く予備知識がなくても、大半のトピックを肯定的に評価しました。一方、「何でも嫌う人たち」は…。言わなくてもわかりますね。
(後は一部抜粋します)
あなたがどんな作品を創ろうと、一部の人は、「理由なく」それを嫌うのです。
心理学者のジョン・スラー氏は、対面ではしない行動をオンラインだと取ってしまう(「オンライン脱抑制効果」と呼ばれる)要因
1.あなたは私を知らない。匿名であれば「実生活」での名声は傷つきません。また、仕返しされたり、責任をとらされる心配もありません。
2.あなたは私に会えない。対面のコミュニケーションのほうが共感は生まれやすくなります。相手が誰だかわかるからです。相手が誰かがわからなければ、羞恥心や罪の意識も芽生えにくくなります。目の前にあるのはスクリーンであり、人ではないのです。
3.ではまた今度。オンラインなら、あなたの行動に相手がすぐ反応するとは限りません。また、反応を待つ必要もありません。自分の意見を好きなだけぶつけて、二度と戻らなければいいだけです。
4.すべては頭の中の出来事。スラー氏は、オンラインのやりとりが現実を歪める可能性があると主張しています。オンラインなら、相手の人格や状況を好き勝手に想像して、自分の行動を正当化することができます。
5.ただのゲームにすぎない。糾弾された批判者のよくある言い訳は、「おいおい、ただのネットじゃん」です。
6.たのルールはここでは関係ない。ここはインターネットです。現実世界では、会話の途中で突然いなくなるのは失礼に当たりますが、インターネットでは失礼に当たらないのです。
否定的なコメントは私たちの記憶に強く残り、肯定的なコメントは忘れやすいのです。
そして最後にもうひとつ。批判者になるのは簡単です。誰からも攻撃を受けず、何のリスクもありません。一方、創作者になるには「勇気」が必要です。
原文
http://99u.com/articles/27881/born-hatin-why-some-people-dislike-everything
任天堂やアップルなんかは典型例。
心理学で言う「同一視」するバカが任天堂のやることは何でも正しいと褒めたたえて甘やかしたから、
任天堂はクソゲーメーカーになった。
アップルは元からクソしか作れてないが最近は更に酷く、あれもバカのせい
それ、個人が個人に向けてもやったらダメだということを最近学んだ
なんでも嫌う人=クレーマー予備軍
なんだ、何でも嫌うほうがメリットありそうじゃん
(最後のほうの文章をそのまま引用)
自分の作品をオンラインで公開するつもりなら、こうした「批判者」の問題についてよく理解しておきましょう。
慣れていない者にとっては、辛辣な批判が大きなダメージになること、また、どんな優れた作品にも批判者は必ず現れるということを。
ロイ・F・バウマイスター教授は、『Bad is Stronger Than Good(悪いものは良いものより強い)』という論文
の中で、この話題を扱っています。
彼は、一般的に、悪い感情、悪い印象、悪いフィードバックは、良いものよりも「速く形成され、反証しずらい」ことを発見しました。言い換えれば、否定的なコメントは私たちの記憶に強く残り、肯定的なコメントは忘れやすいのです。このアンバランスをよく理解してください。
そして、肯定的なコメントを「意識的に」思い出す努力をしましょう。
スタンフォード大学の教授で、『The Man Who Lies to His Laptop(ラップトップに向かって嘘をつく人)』の
著者でもあるクリフォード・ナス教授は、人が否定的な感情につきまとわれるのは、深く考えてしまうからだと言います。
否定的な感情はたくさんの思考を呼び起こします。また、否定的な思考は肯定的な思考よりも、脳でまんべんなく処理されます。
そのため、私たちは、幸福な出来事よりも、不幸な出来事のほうを、より反芻してしまうのです(また、不幸な出来事の方がより強い言葉で表現されます)。
また、否定的な思考は、「詐欺師症候群」を引き起こします。熟練した職人でさえ、「私はたいした職人じゃない、そのうちみんなにバレてしまうだろう」と考えたりします。
もちろん、すべての否定的なコメントを、「何でも嫌う人」のせいにはできません。また、自我が傷つくことを
恐れて、批判を遠ざけてばかりいるのも問題です。多くの人がそうなっています。価値ある本物の批判には耳を傾けるべきです。
そして最後にもうひとつ。批判者になるのは簡単です。誰からも攻撃を受けず、何のリスクもありません。一方、創作者になるには「勇気」が必要です。
本物の批判には耳を傾けるべきです。
ほんとコレ。
何でもクサシテル人は表情や声のトーンや身振りで大概はわかるし哀れよのぅと思って見てる。
意地の悪い年寄とかは治らんだろ
ネットだけと思っていても思考に影響するから気をつけた方がいいわな
ほんまでっか?の池田さん云く
最初はなんでも好きがよい。そこから削っていくのが賢い。とかどうとか言ってたよ。
うろ覚えなので違ってるかも。
まあ、ほんまでっか?てタイトルなのでその辺はお察し下さいw
>>何でも嫌う人
自分以外は、でしょ?
自分も嫌っていたら世の中に居ないよ
何でも嫌う人は究極のナルシストだね
自分は偉いんだ皆バカばっかりだ
という「自分以外全否定」型と
何もかも嫌だ世の中クソだ(でも死ぬ勇気はない)
という「自分も含めて全否定」型がいると思う
評価すれば自分が劣ってることを自覚することになる
だから貶すしかない
なんでも嫌う人とは只々疲れてる。
どうしても批判のほうが流れが大きくなる傾向があるからな。
そう見えてしまう
あらゆるものを罵倒している人がいるけれど
ああいう人のことかな。>>1
利用するクズもいる
赤の他人が視野を狭めて見識を狭めて空っぽ野郎になるだけで
それがどうした
どうでもよかろう
聞き流せ
それを理解しようとするのがリベラリスト(自由主義者)。
その反感、憎悪から体系妄想を作り出すのがネトウヨ、ブサヨ。
自分という見えない敵と、今日も戦っている。
原因は前頭葉帯状皮質のカテコラミン代謝に不具合があると神経生物学で明らかにされている。
好きになるにしても嫌いになるにしても、
一旦自分の中で検討しない奴が一番ダメなんじゃね?
完璧じゃなければ糞というだけ
どいつもこいつもクソばかりだ