それは、プロレスに関する議論で「八百長」という言葉を聞かなくなったことである。
以前はよく、こんな疑問がよく聞かれたものだ。
「なぜ、選手をロープに振ったら戻ってくるのか?」
プロレスに関して抱く、最初の疑問はこれじゃないだろうか。ほかにも、
「なぜ5カウント以内の反則が認められるのか」
「時間無制限一本勝負や60分一本勝負でも、長くても30分くらいで試合が終わるのは、
テレビの放送を意識しているのではないか」
「相手の協力がないとできない技があるのはどうなのか」
「なぜ、相手の技を逃げないで受けるのか?」
(中略)
●八百長という声を吹き飛ばした
このように、90年代くらいまでのプロレスは、暗に八百長疑惑と戦っていたように思う。
その後のプロレスはどうなったか。
結論から言うと、見事に八百長という声を吹き飛ばしたように思う。
もう、そういう議論自体、どうでもよいものになってしまった。個人的には、プロレスがさらに進化すること、
多様化することにより、それを成し遂げたのだと思う。
その一つは、プロレスリング・ノアのように、ますます過激なプロレスをすることにより、強さ、痛みを伝えていった流れである。
三沢光晴が小橋建太に花道で放ったタイガースープレックスなどは10年以上たつにもかかわらず、
いまだにファンの間で話題になる。
ネット上では「ノアだけはガチ」という言葉も流行した。
過激なプロレスだけでなく、華麗なプロレスというものもある。
空中殺法はこの10年でさらに進化した。トップロープから場外に飛ぶ技は、ますます華麗になった。
レスラーの肉体も鍛えぬかれたものになっていった(団体や、ファイトスタイルにもよるが)。
新日本プロレスのエース、棚橋弘至選手の肉体などはすさまじいまでの鍛え方である。
逆に、ファンタジーと言ってもいいほどのエンターテインメント性の方向に走ることで、八百長論をどうでもいいものにしたという流れもある。
一時興行が行われていたハッスルなどはその典型だろう。
最近は映像を駆使した演出なども増えてきた。
冬の時代といわれたこともあったが、プロレスは、耐えた。
気づけば、K-1もPRIDEもブームが去っていた。
大規模な格闘技興行も、すっかり少なくなってしまった(もっとも、格闘技は競技人口が増え、小規模な大会が増えているのだが)。
そして、プロレスブームがまたやってきたといえる。なんせ、新日本プロレスが人気だが、他の団体もがんばっている。
プロレス女子(プ女子)なる言葉も生まれ、メディア露出も増え、ますます盛り上がりそうな予感だ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150412-00010001-bjournal-ent
今の煽りに乗せられてる人がいなくなったらまたすぐ冬の時代
日本のだってWWEみたいに台本あるんだろ?
WWEはレスラーのコメントはもちろん
実況陣にも台本あるしな。
今のファンはお芝居ということを前提に楽しんでる
対戦相手が最大限に配慮しなければ、試合が成り立たないもんな
新日ももう完全にエンターテイメントの方向に舵切ったからな
昔のようにガチでやれとは言えないよ。
怪我は当たり前で死ぬこともあるし
そこが再評価されたんだろ
プロレス板のローカルルールにもあるくらいに
俺が小中高の時はその話題でプオタ同士が殺伐としてたぞ
お前はなんもわかってないだの説教されたわ
ジャンボ鶴田最強論とかあったな
いいお客さんだけが今は残ってそう
武藤対高田とか橋本対小川とか
と言えば女子供にさえ通じる時代になったからな
ドキドキハラハラさせて安心感があるのがプロレスのいいところ。
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1428794087/