10代の若者たちが片手に鉛筆、もう片方の手に消しゴムを持って何かを書きなぐっている姿は、私の目には異様に映った。
もちろん、子供に鉛筆を使わせることには万年筆に勝る多くの利点がある。
私が子供の頃は、12歳になったら何でも万年筆で書かなければいけなかった。
当時はまだペンの製造技術が発達していなかったから、指はいつもインクまみれだった。
シャツの胸ポケットの周りに大きな黒い染みがあるのも、それを学校のワッペンで隠すのもいつものことだった。
ノートも染みや汚れだらけで、書き間違いを線で消した痕が山ほどあった。
それに比べて日本の学生のノート(とシャツ)は、きれいできちんとしている。
教師や親にとってはいいことかもしれないが、子供にとってはどうだろうか。
鉛筆書きのきれいなノートでは、何を間違えてどう直したかは分からない。
発見と理解のプロセスが記録されていないのだ。残っているのは結果と正解、完璧なノートだけ。
これは学ぶ機会の喪失と好ましくない思考習慣につながるようにも思える。子供は間違いを恐れ、リスクを回避するようになってしまう。
こうした習慣がひいては金融や経済、そして革新を生む力に悪影響を及ぼしかねない。
「失敗は前進のプロセス」と考え慣れていない子供は、進歩を生み出す冒険心や勇気を抱くこともないだろう。
科学の進歩は理路整然とした正解からではなく、誤りや修正を通じて生まれる。
失敗から答えを編み出すプロセスに慣れていない子供は新しいものに挑む勇気を失い、既存のものを真似するだけになってしまう。
スポーツの分野でも、失敗に慣れていないと慎重になり過ぎて本来の力を発揮できない。
学校教育に万年筆を取り入れることで、日本人選手のハットトリックや金メダルもきっと増えるはずだ。
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2014/03/post-815.php
「べんきょうした―」っていうモチベーションにはなったな
いい指摘だ
飽くまで清書だからな
保存することしか考えていなくて、後から読み直すことはしないからな
これは過程より結果を大事にする習慣にも関係してくるな
後で読み直したいからこそ、読みやすいように書き直すんじゃないの?
何のための教科書だよw
理解した、という過程のエビデンスとしては削除履歴を残した方が、どこで躓いたかがわかるでしょ
得た知識を自己で完結するなら、不要なんだろうけど、人に教える立場から考えると有用だと思うよ
ノートに書くのは、教科書に載ってることばっかりじゃないだろ
ていうか、教科書をうつすだけなら別にノートなんかとらなくていい
むしろ教科書に載ってない補足事項とか自分が考えた過程を丁寧にまとめるもんじゃないのか
汚れた服まで着て、ワッペンはったり、
手を洗う水や石鹸、洗う手間や時間、
清書する時間や効率
なんつーの?
貧乏臭い上に、金かかるし、要領も悪いんだな
と実感する。
伝統ある自国文化に誇りを持つのは素晴らしいが、それを他国に押し付ける奴多すぎィ!
ノートを綺麗にしたいのは民族病ということで
理由は、文字の上に線を一本引くだけで消したことになるからだ
消しゴムで消す時間が省けるとストレスが無くて良い
国によりけり
日本のことは気にしないで
例え、そのノートが友達の丸写しでも、綺麗で答えが合ってればそれで良いの!
→ハットトリックが増える
ここ試験に出まーす
引用元: http://ai.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1396242417/