アライグマ、安易に飼い「流血の日々」 次第に見せた「野生の顔」 それでも手放さなかった8年10カ月
ペットショップの店員から「猫ちゃんみたいなものです」と説明を受け、15万円で購入。「ぺー太」と名付け、次男は大喜びでした。「ハクビシンなど、人と違うペットを求める人が増えた時代。私も、珍しい動物を飼っていることに喜びを感じていました」
哺乳瓶に両手を添えて猫用ミルクを飲み、タバコの煙をつかもうとする。愛らしい姿を見せていたペー太は、次第に野生の顔を見せるようになりました。
生後4カ月になると、戸棚や扉を開け、中身を出してしまうように。公園で木登りをさせようとして車に乗せた時は、甲高い鳴き声を出して暴れ回りました。
「子育てと同じように根気よく繰り返し教えれば、きっとしつけられる」と思っていましたが、抱っこすれば暴れ、頭をなでようとすればうなられます。思い切りかまれるので、するどい爪が突き刺さり流血することもたびたび。
6カ月を過ぎると、おりに入れざるをえなくなりました。獣医のすすめで、去勢とキバを切る手術もしました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000001-withnews-soci
きれいごとでは語れない生活
さとうさんは、自分たち人間のせいで遠い日本に移され、自由に動くこともできず、手術までされてしまったぺー太への罪悪感にさいなまれました。そして、甘い考えで野生動物を飼ったことへの後悔にも襲われたといいます。
ただ、コミュニケーションができないぺー太への思いは、きれいごとでは語れないものでした。さとうさんの著書「ぜったいに飼ってはいけないアライグマ」(1999年、理論社)に、こうつづられています。
「朝、二階から降りてくると、リビングのドアの前で、思わず足が止まる。ああ、このドアをあけるとペー太がいるんだ、またウンチの始末かと思うと、ため息が出る」
おり越しにしかスキンシップができず、「おいで」と呼んでも応えてはくれない存在。「情」を感じられず、「どう接していいか分からない状態でした」と振り返ります。
それでも、手放すことは考えられませんでした。1週間に1度ほどはお菓子で誘い、抱いてお風呂に入れ続けていました。
夜中になるとゲージから外に出たくて暴れるぺー太の背中を、指でかいてグルーミングしてやったりもしました。
「ぺー太は何にも悪くない」
病気後はびっくりするほど穏やかな性質に変わり、最期の1年ほどはケージから出し、自由に過ごさせることができました。
ある朝、息を引き取ったペー太の顔を見て、さとうさんは「おりの中で飼ってごめんね」と、話しかけたそうです。
「ぺー太は何にも悪くない。野生動物がどういうものかを調べもせずに飼った自分への怒りと、安易に売りつけた店への怒りがあります」
店売りなのに野生なんか
家畜化されてないんやから本能は野生動物ってことやろ
阪神大震災(1995年)の際、地震が起きたらペー太を連れて逃げられるかと考えてみたら、「他の人を傷つけないためには、飼い主の私たちがペー太の命を絶つしかないかもしれない」と、泣けてきたそうです。
「いざという時に連れていけないような動物を決してペットにすべきではない。そう、大きな声で伝えたいです」
これでもアライグマの事、ゴミって呼べるか…?
これ正論やん
こんくらいしっかり考えてペット買う人ばかりやとええんやけどな
屑だと捨てたり保健所いきだからな
遺伝子レベルで野生なんやな
引用元: http://swallow.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1541379998/